LCCで福岡行きのチケットが取れたので、九州の小倉城へ行きました。
福岡で人気の観光スポットをフォートラベル検索したところ、小倉城が目に止まり行くことにしました。

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小倉城は、下記の通り、最近NHK大河ドラマで有名な黒田官兵衛にゆかりのある城らしいです。

黒田官兵衛と福岡県 によると、小倉城は、黒田官兵衛が九州平定時の初期に攻めた城と有りました。
黒田官兵衛は豊臣秀吉の九州平定の軍監として、天正14年(1586年)、兵4,000を率いて海を渡り、毛利・吉川・小早川軍とともに豊前小倉城(現・北九州市小倉北区)を攻め込みました。これが官兵衛にとって福岡での出発点でした。
また、
黒田官兵衛と福岡県 小倉城 によると、関が原の戦いの際に落城させた城でもあるそうです。
また、慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの際に西軍・石田三成方に属した小倉城主毛利勝信を黒田官兵衛が攻め落城させたといわれる。
中に入って見たかったのですが、ちょうど休館中でした。残念です。

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小倉城の歴史を調べて見ました。
戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まります。その後、高橋鑑種(たかはし あきたね)や毛利勝信(もうり かつ のぶ)が居城し、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興(ほそかわ ただおき)によって、1602年に本格的に築城が始まり約七年の歳月を要しました。
幕末期になると、小倉は長州藩を攻める第一線基地となり、その中で小倉と熊本藩は勇敢に戦いましたが、他の九州諸藩の兵には積極的な戦意がなく、ついに1866年、自ら小倉城に火を放って戦線を後退せざるをえませんでした。

明治10年の西南戦争の際には、小倉城内に駐屯していた歩兵第14連隊が、乃木将軍に率いられて出征しました。

その後は、歩兵第12旅団や第12師団の司令部が城内に置かれました。
小倉城の歴史 より

確かに、司令部跡がありました。下の写真は、司令部の門の後だそうです。森鴎外もこの門を通ったとのこと。

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小倉には、森鴎外のゆかりの場所(住んでいた家など)が沢山ありました。
森鴎外が好きな方は、訪れて見るとよいかもしれません。

ちなみに、下記は、森鴎外が馬で通ったといわれている常盤橋です。小倉城の近くにあります。
常盤橋は、江戸時代、九州各地にのびる諸街道の起点であり終点であったそうです。

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